
以前に書いたアメリカでの差別の記事を色んな方々に読んでいただいています。
コメントも色々いただいていて、「そんなの普通だ、気にし過ぎだろ」と思う方もいらっしゃることが良くわかりました。
一方で、日本を離れてアメリカに住むことを本当に辛いと思っている方がいることも事実です。
最近、キリスト教、イスラム教、仏教をはじめとする世界の宗教に関する文献を読んでいます。
そこで、日本人の根底にある仏教の考え方が、アメリカでの出来事を差別と感じてしまうのかなと思うことがあったので、個人的な見解としてご紹介します。
この記事の目次
キリスト教は愛の宗教
キリスト教は、ベースとして博愛主義の立場を取っています。
人類は互いに愛し合いましょう、と愛を肯定しています。
イエス・キリストは、弟子たちへの教えとして、隣人を愛しなさいと説きました。
そもそもイエスが十字架に張り付けにされて命を投げ出したこと自体も、
隣人である人間には全員への愛とも捉えられているようです。
仏教は愛を否定して慈悲を説く
日本人は宗教観が薄いと言われますが、文化の根底には間違いなく仏教が根付いています。
仏教は、人間は欲望から自由になれと説きます。その欲望の1つとして愛があげられており、欲望に執着することで、苦悩に陥るとされています。
解釈の仕方にもよりますが、愛をこじらせることで逆に相手を憎んでしまったり、自分に自信を持てなくなってしまったり、様々な苦悩が想定されるようです。
さて、では仏教が愛を否定するだけの味気ない宗教かというとそうではありません。
仏教では、愛ではなく慈悲をもって他の人と関わりなさいと説かれています。
慈悲は、慈しみ悲しむということで、すべての人に分け隔てない友愛を注ぎ、他人の悲しみに同感することとされています。
特定の誰かを愛するのではなく、分け隔てなく平等に他人に接しなさいというのが仏教の教えなのではないかと思います。
おもてなし?誰とも分け隔てなく付き合おうとする日本人
例えば、日本に旅行に来て困っている外国人がいたら何とか助けてあげたいって思いませんか?
外国人じゃなくても、困っている人を助けたいというのは日本人に特に強い感情かもしれません。
「放っておけない」
「大丈夫かなー?」
これは、まさしく仏教の慈悲の考え方が継承されている日本人独特の感覚だと思います。
Going my way! 仲間内でかたまるアメリカ人
意外かもしれませんが、多くのアメリカ人は排他的です。
この根底には、隣人愛があるのでしょうか。自分の周りの人を大事にする気持ちは強いのですが、その他の人のことにまで気を遣う人はそんなにいないなあという印象です。
上述の通り、そもそも慈悲、他人の苦悩や悲しみを理解する考え方が、アメリカ人の中に浸透していないのであれば当然だなあとも思えてきました。
*もちろんアメリカ人の中にも、一切差別をしない最高のナイスガイもたくさんいるんですけどね。
まとめ、差別じゃなくて考え方の違いと思ってみる
海外生活、アメリカ生活、といったって人によって住む街も違えば付き合う人も違います。
私がこうだから、あなたもこうだ!という言い方は意味が無いと思います。
差別が辛いし、すぐに無くすのが難しいときは、この人たちは自分たちは違う考え方で育ってきたんだということを改めて思い返してみてください。
宗教が違うってものすごく大きいことだなと最近感じます。相手のスタンスを理解することで、心苦しさが少しでも晴れれば嬉しいです。
今回参考にしたのは、以下の書籍です。知識を持っておくと感じ方も変わるかもしれません。